性善説と性悪説

経営者と会話をしていると、

「性善説」と「性悪説」という言葉が出てくることがあります。

 

具体的には、

「性善説を信じるから、自由な環境で社員の自主性に任せる。」

「性悪説を信じるから、社員はルールで統制する必要がある。」

といったお話です。

 

しかし、この認識は正しいのでしょうか?

 

よくある誤解として、

性善説「人の生来の性質は善である。よって人を信じるべきである。」と説いたもの。

性悪説「人の生来の性質は悪である。よって人は疑ってかかるべきである。」と説いたもの。

というものがあります。

 

ところが、本来の意味は、『大辞林』第三版によると、

性善説「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しており,悪の行為はその本性を汚損・隠蔽することから起こるとする説。正統的儒学の人間観。孟子の首唱。」

性悪説「人間の本性を利己的欲望とみて,善の行為は後天的習得によってのみ可能とする説。孟子の性善説に対立して荀子が首唱。」

とあります。

 

そうなのです。

性善説と性悪説は、いずれも、

「人は善と悪・良心と利己心を併せ持つ」という考えなのです。

 

したがって、善悪のいずれか一方を過剰にクローズアップするのでは片手落ちです。

 

特に性善説という言葉には、

その意味を誤解している人にとっては、

良き人でありたい願望を掻き立てるような、甘美な響きがあります。

 

しかし、マリア・仏陀レベルの聖人ならばいざしらず、

普通の人間であれば誰もみな、

利己的な欲望に流される弱い心も常に併せ持っています。

 

これを正しく認識することで、

社員を野放しにするのではなく、

さりとてルールで縛り付けるのでもなく、

「社員が利己心よりも良心を発揮する方がしっくりくるような企業文化を醸成しよう。」

という考えにつなげることができます。

 

さて、肝心なその企業文化を醸成するにはどうすれば良いのか?

という疑問が、今あなたに浮かんだことと思います。

 

それは、とてもシンプルです。

経営者の見栄も衒いも削ぎ落とした嘘偽りのない生き様を経営理念に反映させ、

たとえうるさがられようが、めげずに何度も繰り返し伝えることです。

 

何度も繰り返し伝えることで、

次第に企業文化が醸成され、

正直で一貫性のある職場環境が整います。

シンプルだけど奥が深いこの方法。

ぜひお試しください。

 

☆本日のきれいごと

「人は善と悪を併せ持つ生き物である。利己心は無理に克服せず良心で従えよう。」

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